竪穴式住居は天窓が出入口だった!?

はじめてこの記事を見つけたときは目を疑いましたが、よくよく考えてみるとそうであったのかもと考えるようになりました。

その前に、まずは竪穴式住居の復元建物「なにか違うな?」と思った疑問点をあげてみます。

竪穴式住居の復元建物がサス構造であること
垂木で棟木を支えるために直線状に揃えるのは難しい
木材の接合部は石斧で、ほぞ穴は木炭で加工したにしてはきれいすぎる
煙の換気のために頂部の側面に開口部がある

などなど、全体としてきれいに作られすぎている印象をうけます。まあ展示用なので実際に建てられていたものとは違うのはあたり前ですが、基本的な構造がサス構造である場合が多く「ほんとに当時を考えて復元したのか?」という疑問を抱いてしまいます。

サス構造に関してはこちらをご参照ください↓

はじめて見つけた記事については次にあげておきます。

竪穴式住居の生活ってどんな暮らし方なの?

そもそも竪穴式住居は19世紀の末頃まで、東北アジアや北アメリカの冬季に定住生活を送る漁労や狩猟民の間で広く利用されていました。

竪穴の深さや規模には様々な違いがありますがいずれも土によって屋根を覆う土小屋であるという共通点があります。

アリューシャン列島のアレウト族の竪穴式住居の例は、仙台藩の船員の津太夫が49歳の時に嵐にあって漂流し、儀兵衛、左平、太十郎ら3名と共に、図らずも日本人初の世界一周を果たした時の体験をまとめた資料『環海異聞』大槻玄沢著 文化4(1807)年などで描かれています。

— 島人は、いかやうの所に住居候や、家作とては見へ申さず、尋廻り見候へば、何れも穴居あなすまいと見へ申候。此浜の近辺に、土窖つちあなの有候。造り方の様子を見候所、平地へ深く穴を堀り、蔭室むろのごとく致し候物なり。穴の上は拾ひ集め置候流れ木共を以て屋根の骨となし、右萱のごとき草を葺きかけて、其上に土を掛置申候。其真中に二尺四五寸四方に口をあけ置候。是屋上の烟窓けむたしに似たり。此口則ち出入の所とす。其口下に向ひ升のぼり降り出入の梯やうの物御座候。是は平らめなる木にきりはを付候迄の物に御座候。窖つちあなの内は人数の多少により、広狭の有候様に見へ候。此所は樹木総じて生じ申さず。材木に致し候物なく、且風雪も厳敷島ゆへ、ケ様に平地へ深く穴をほり、住居に致候事と被存候。–

『環海異聞』大槻玄沢著 文化4(1807)年

平地へ深く穴を堀る
拾い集めた流れ木などで屋根を作る
草を葺き土をかける
真中に二尺四、五寸(約57cm)の穴があり出入口となっている
出入りは丸太に刻みをつけたハシゴを使う

説明文では上記のような竪穴式住居の特徴を挙げていますが、このなかで私の目をひいたのは天窓のある土饅頭のような形状を描いた挿絵です。
土饅頭のような盛土の竪穴式住居は頂上に穴があいているだけで、その穴から中の住人が顔をのぞかせています。

※「環海異聞」大槻玄沢著よりも 「初めて世界一周した日本人 (新潮選書) 」のほうが読みやすいかもしれません。
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竪穴式住居の珍しいものでは、樹木が乏しい地域(カナダのイヌイットなど)で鯨の肋骨で小屋組みを作ってあるものなど見たことはありますが、これは初めて見る絵でした。

室内の採光のためや中央には炉があり煙が室内にこもらないようにすることや、流木では垂木を水平に揃えるのは難しいので棟木を使うことはないこと、冷たい風が室内に入り込みづらいなど上部に天窓みたいな穴が開いているだけのほうが当時の竪穴式住居としては現実味があります。

しかしながら、上部が開いているということは当然、雨や雪などが入ってきて中央には水溜りが出来てしまいます。樺太のアイヌなどは冬越しの住居として使っていたようですが、トイレはどうしたのかという疑問があります。
中央は焚火をするだけでなくトイレとして使っていたのでしょうか、なんだかニオイがこもってしまいそうですね><;

円形と方形の変遷

竪穴式住居は円形と方形(四角形)があるのを知っていますか?

円形の住居は縄文時代から弥生時代ぐらいまでで、弥生時代の終わりごろからほとんど全国的になくなるそうです。(岡山県周辺や山陰と北陸地方は円形が残っている)

この円形の竪穴式住居は日本列島の縄文時代や弥生時代の住居の特徴をあらわしているのですが、このことは初期の竪穴式住居は上部が天窓であったことの証拠ではないかと私は思います。

円形の内部は4本の柱、梁で屋根を支える構造なのですが、コーナーのところの垂木はうまく中央へとあわせることが難しくなります。

なのに縄文から弥生にかけて竪穴式住居が円形が多いということは、木材加工の技術が発達していたというのも考えられますが、やはり上部はあけっぱなしで垂木を寄集めてあっただけだと考えるのが自然のように思います。

出入口としての天窓

ウナラスカ島の竪穴住居

出入口が天窓しかない竪穴式住居は丸太に刻みをつけたハシゴで出入りしていたわけですが

水にぬれたハシゴは滑りやすい
■炉に火がともされると加熱される
■煙にまかれながら注意して登らなければならない

等々、子供を背負った女性や子供、荷物を持っての毎日の上り下りなどとても大変です。

もちろん炉の位置から土中を通って外部に達する通風道や、屋根のある前室(この前室は冬の間の食料の備蓄のための冷蔵庫代わり)のある例はあるのですが、

一般には女子供専用の出入口でここを通った男は女とみなされて物笑いの種になったそうです(イテルメン族)。


コリヤークの竪穴住居

シンボルとなった天窓

竪穴式住居の変化は、初期は円形が多かったという理由から上部は開口部(天窓)があったでこと、

そして本来の出入口は、屋根の頂上に開いた開口部(天窓)であったが、その不便さから壁側の通路を出入口にするようになったというのが自然な流れなのでしょう。

それでも天窓としての屋根の出入口は採光や排煙のために残されるようになり、時にはシンボル的な役割も担うようになりました。

北アメリカのインディアンは、天窓は神窓とよばれ至高神の支配する天界とをつなぐ開口とみなして、誕生や死にさいして魂が出入りする開口と考えています。
天窓は天上世界と地上世界をつなぐ出入口であり、両世界をつなぐ役割を担うシャーマンだけが出入りを許されています

小さな屋根が乗せられることで高窓のあるサス構造へ

とはいえ、天窓は雨などが吹きこみます。
シャーマンが天窓へとのぼり出入口として利用する儀式のない人々にとっては採光や換気のための開口部にすぎないわけで、
最初は天窓に雪ん子の蓑帽子(みのぼうし)のようなものをかぶせただけだったと思います。

この蓑帽子の存在が、後のサス構造へとつながる第一歩となったと考えることが妥当だと思う今日この頃です^^
小屋組みの大まかな歴史に関してはこちらへ

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